diary 2002.12a



■2002.12.01 日

  少し遠出をしていたけれど、雪にも降られず、夏道気分で車を乗り回せた週末。今年は新しいスタッドレスタイヤを買ったので、今は新品を履いて走っている。去年まで履いていた中古タイヤでは、さすがにこの街の冬道は辛かった。歩いている人ですら転んでしまう、ピカピカに磨かれた鏡のような氷路面。その上を無数の車が行き交うのだ。圧雪のでこぼこ道で、行き交う車も疎らだった田舎道の育ち。この街の冬道の道路事情にも、まだまだ慣れ切ってはいない。
 なので、今年は冬タイヤを買い替えたのだけど、少し迷いもあった。次の転勤先が、どうやら北海道ではないらしい。関東。まだ時期は未定だが、恐らくは再来年度あたりの話だろう。さすがに関東でスタッドレスタイヤは必要ない。2シーズン程度なら、以前のタイヤで持たない事もない。などとも考えていたので。
 でもまぁ、予定は未定。確率は高いがまだ確定はしていない転勤話なので、素直にタイヤは買い替えたのだ。命も惜しいし。
 スタッドレスタイヤにも幾つか種類がある。大別すると「長持ちするけれど硬めのタイヤ」と「長くは持たないけれど柔らかめのタイヤ」の2種類だ。凍結路面でのグリップ性能は、ほぼゴムの柔らかさで決まる。柔らかいに越したことはない。けれど、柔らか過ぎるとすぐに減ってしまい、長持ちしない。今年はあえて、その柔らかい方のタイヤを買った。勿論、2シーズン後の転勤を視野に入れて。もしそうならなかった時には…まぁ、その時に考えよう。
 そのタイヤで乾燥路面を走ってみると、やはりフニャフニャした感じ。指で押せば凹むほど柔らかいので、逆に乾燥路面でのグリップ力は最悪だ。少し吹かしたり、急ブレーキをかけるとタイヤが鳴る。何よりも乾燥路面の上では走る度にどんどんタイヤが減っていそうで、そればかりが気になってしまう。せっかくの新品なのに。
 でも、だからといって慌てて降らんでもいいぞ、雪。


■2002.12.02 月

 今年最後の月の始まり。でも、今週まともに自分の仕事をできるのは今日だけで、明日からは2泊3日の出張となる。金曜日は休暇を取って職場の忘年会だ。忘年会は夜なので、昼間別に休暇を取る必要はない。でも、今年の有給休暇がまだあと10日以上余っているので、はやい話が休暇を消化するための休暇だ。
 ひとつの独立した仕事を、ひとりでやっている。同じセクションの他の人にはそれぞれ他の仕事があり、そうそう掛け持ちはできない。厳しいといえば厳しい。今年の休暇の取得数を見る限り、春や盆の連休以外には殆ど休めなかった、という事になる。逆に、自分の仕事が順調に進んでさえいれば、自由意志で休む事ができる。「明日休むために今日遅くまでやる」という仕事の仕方も可能だ。
 ただ、あまり「休むために遅くまで」という仕事はしない方だ。正直、休みは土日だけで間に合っている。休暇が取れない程に忙しい、というよりは、休暇を取らずに仕事をする事で、日々の仕事のハードさを緩和している、と言った方が正しいかも知れない。でも、一日単位のレベルになると話は別で、その日は忙しくても、できれば残業はせずに早く帰りたい。そのために昼休みを潰して仕事をしている事は多い。昼休みは休めるだけ休んで、その分の仕事を残業にまわせば、まぁ金にはなるのだけれど、そういう時だけは何故か、さっさと片付けて早く休みたい性格だ。残業して多少の手当てを貰うよりは、少しでも多く自分の時間を持ちたいのだと思う。
 明日から家を空けるので、冷蔵庫の中の生鮮食料品を片付けた。キャベツが1/4カット。ざく切りにして胡麻油と塩で炒める。生卵が1個。炒めたキャベツの上にぶっ掛けて卵とじ。料理はここまで。納豆が1パック。キウイフルーツと林檎が各1個。林檎は普段丸かじりなのだけど、今日は丁寧に剥いてみる。あとは1合のごはんを焚いて、自分で作る夕食はいつも大体こんなものだ。
 「男の人の自炊ってどんな感じなの」と聴かれて、こんな感じ、と答えると、よくこう突っ込まれる。 『ほとんど素材のまま』 だと。…確かに。
 でも、別に自分が独身男性の自炊能力の標準では無い。実感として、男は意外と料理好きだと思う。しかも、あまり身近な「生活感」の無い、手間隙かけた凝った料理を作る事が大好きだ。プラモデルを作るような感覚で料理を作る。そんな連中が、身の回りには結構多いような気がする。


■2002.12.05 木

 出張先から帰宅。不在の間も札幌は雪が降らなかった。まだ積雪はゼロ。こちらが大雪だったりすると帰るなり雪かきとなってしまうので、出先でも札幌の天候は気になる。けれど、幸い札幌は北海道の道都なので、道内どこにいようとも北海道の天気予報番組をつけると、真っ先にこの街のお天気カメラの映像が映し出される。札幌市民になって1年半とちょっと。この街の住人は恵まれている。他の町の住人にとってはどうでもいいことなのだが。まぁ、この街の住人にとっても、この街を離れていない限りは、自分が住んでいる街の現在の天候なんて映されようが映されまいが、どうでもいいことだ。
 帰ってみると、冷蔵庫の中が殆ど空っぽだった。調味料が少々と、先月泊まりにきた友人が置いていった缶ビールが一本残っているだけ。何か使い道はないだろうか。そう考えてみたが思いつかない。缶を開けて、意味も無くコップへと注いでみる。少し見詰めて、処分する。コンビニへ買出しに行き、それで夕食は済ませる。
 2日間空けても、次の行から今日の日付で書き始める。毎日書こうが、何日振りに書こうが、こうして次の行から書き始めるのは同じだ。前の日付の最後の行と、今日の日付の最初の行。その間は2行しか空いていない。けれど、その間には自分にとっての2日間という時間が確かに流れている。単に、その間の事を書いていないだけだ。
 日記の空白。後から読み返す自分や、ここを読む自分以外の人にとって、こうした綴られることの無い空白はどういう意味を持ち、どう扱われるのだろう。空白にも何らかの思いを埋めつつ読まれるのか、それとも、全く無いものとして扱われるのか。日記の空白の間を流れる、書き手の時間。語られる事のない時間を、人は一体何を思いながら生きているのだろう。
 明日の夜は忘年会。場所は当然ススキノだ。車で行こうか、とふと思ったが、どうせ車で行った時の駐車代の方が、そうでない時の交通費よりも高くつくのだろう、と考え直す。歓楽街の人混みの中を歩くのは、好きではないのだが。


■2002.12.06 金

 今年最初の忘年会だったが、それについては特に書くような事は無い。大広間の一角で他の団体とも仕切りが無かったので、これといって馬鹿騒ぎも起きず、普段よりはやや大人しかった感じ。それ以外は普段と同じだ。値段の割に合わない料理を突付いて、ウーロン茶だけを飲み、早々に退散。来年の幹事やらないか、と誘われたが、酒が飲めない幹事。酒の事は一切考慮しないよ、と脅して断る。
 忘年会時期の幹事はやっていて余り面白くない。日程の調整と店側の空きを捜して予約を確保するのに精一杯で、掻き入れ時の店側とは殆ど交渉の余地が無い。歓送迎会のような半端な時期、店側の閑散期を狙って行えるような宴会だと、それは違う。店側の規定のプランにとらわれず、交渉次第で様々な宴席を設ける事ができる。
 つまり、こうだ。まず店に出向き、コースプランは選ばず、アラカルトのメニューに飲み放題をプラス、何人で会費は何千円以内と直に頼み込む。承諾してもらったら料理にかかる金額を算出して、店側からメニューとして何が出せるか、その一覧を持ち出し、「忘年会のお知らせ」と共に、皆に何が食べたいかの希望を金額の枠内で出してもらう。各人が食べる料理と皆で突付く料理は別にし、各人が食べる方は各人に選ばせるのだ。
 そうしてメニューと会費が出揃ったら再び店に赴き、その場で支払いを済ませる。近場なら電話で済ませるよりは足を運んだ方がいいだろう。余興の賞品も店に出してもらえたり、豪華な粗品がついてきたりと、色々サービスしてもらえる事もある。
 以前にこうしたやり方で2回幹事を勤めたことがある。酒を飲まない幹事は食べ物にこだわるのだ。宴会のお知らせと共にメニューがまわってくるのだから、最初は皆、結構驚いたらしい。でもまぁ結果は上々だった。自分で選んだのだから料理に文句を言ってくる人もいなかった。それまで金品や景品だったジャンケン大会の賞品を、サービス品の「カニ姿盛り」にした時もウケた。景品は持ち帰るだけだが、食べ物なら勝者はその場で、自分だけ豪華な気分に浸る事ができる。
 そうやって色々と企画の余地がある宴会の幹事なら面白いのだけど、この時期はなかなかそうはいかない。今回の幹事も、店側との折衝は仲介の業者に頼んだそうだ。やれやれ何とかこなした、といった感じの幹事。お疲れ様でした。


■2002.12.08 日 (開戦記念日)

 土曜日は道南方面に出かけていて、帰ってきたのは日付が変わってから。夜中に車を走らせている途中、ワイパーの調子がおかしい事に気づいたので、今日点検してみる。ワイパーをいくらかけても、ガラス面に拭きムラが生じるのだ。ワイパーブレードがガラス面に密着していない状態。つまりブレードが損耗しているか、ワイパーの骨格そのものが変形している可能性が高い。でも、どうしてその症状が2本同時に発生してしまったのだろう。
 見てみると、原因は凍結だっだ。冬用のワイパーなので、フレームは凍結保護用の袋状のゴムで覆われている。その覆いのゴムに亀裂があり、中に水が浸入してカチカチに凍っていた。通常、ワイパーのフレームは柔軟性を持ち、湾曲したガラス面のどの位置でもブレード面がぴったりと密着するようになっている。でも、このように凍ってしまっては、柔らかいフレームもただの棒になる。直線で曲面を拭うことは出来ない。
 自分では直せそうにないので、昼からワイパーブレードを買いに行く。灯油も切れそうだったので、灯油缶を2つ持って出る。まだ市内に雪は無い。ワイパーを買ってその場で交換してから、寄り道で図書館へ。市内に幾つかある分館のうちのひとつだ。そこで2時間ほど過ごす。以前は本気で図書館に勤めようと思ったくらい、図書館は好きだ。どのくらい本気だったのかというと、図書館司書の資格を取ってしまったくらいに。
 でも、利用者の好きと勤める好きとは、また違うもの。いや、就職先として図書館を選択しなかったのは、そんな理由からではない。図書館というのは、地域に密着したものだ。その土地その土地に、その土地の図書館がある。選べなかったのはその職ではない。職を得ると同時に定住することになる、その「土地」の方だったのだと思う。
 道内では市町村の職員が司書として配属される場合が多く、司書としての採用は殆ど無い。でも、全国的に見れば司書としての採用を行っている所は少なくはなかった。そういう所では、採用された司書がそのまま、その市町村の職員として扱われる。
 つまり、選べなかったのだ。日本地図の上に疎らに散らばった幾つもの点の中から、その職にある限りその土地の職員として住み続ける事になる、一点を。そうした一点の土地を、当時の自分は選択する事ができなかった。
 高卒で地元を離れてから4回、住む街を変えている。札幌は7年ぶり2回目だ。結局今は転勤族。ここもあと1、2年でまた次の土地へ移る事になるのだろう。定住したい土地など、まだ見つからない。いや、土地そのものではなく、その土地にあるもっと別なもの…自分をその地に留める価値…を見つけていないだけか。まぁいい。今はまだこうした生活も楽しんでやれると思う。いつでも次が、楽しみなのだ。
 灯油を買ってから帰りに寄った店で、ジャガイモ、ニンジン、タマネギがセットとなった「カレーセット」が95円と格安だった。思いついてそれを買ってきて、別に買ったナスとシメジと冷凍庫にあった骨付きカルビを加え、カレーでは無くシチューを煮込む。食後からしばらく経った今も、この部屋の中。どこかの家庭のような、焦げたミルクのいい匂いが漂っている。


■2002.12.09 月

 朝のテレビに映されていた街には、結構な雪が降っていた。どこの街だろうと思って、自然と道内のどこか他の街なのだろうと思っていたら、その雪降る街は東京だった。まだこの辺りに積雪は無い。ただ、札幌の通勤圏に含まれる周辺部の街では、昨夜は結構な降雪だった所もあるようだ。それは混雑した朝の道路を見れば判る。通勤路を急ぐ車の中に時々、屋根に雪を積もらせたまま走る車が混じっていた。
 昨日あるスーパーで買い物をしていて、ふとある歌に気付いた。その売り場でいつもいつも、繰り返し流され続けている歌。魚売り場ではない。野菜コーナーの一角、キノコ売り場だ。そこで最近はずっと「キノコの歌」が流されている。歌の名前は判らないが、おさかな天国に続く第2弾なのかも知れない。
 ただ、歌は明瞭に聞こえるが、その歌詞がいまいち良く聞き取れない。「キノコ・・・・キノコ。おいしーい・・・・、・・・・キノコ」といった感じで、聞き取れるのは「キノコ」と言っている部分だけ。他は何を言っているのか良く判らなかった。これは単に自分の聞き取り能力が低いだけなのだろうか。他の人はちゃんとこの歌の歌詞の全てを聞き取れているのだろうか。「おさかな天国」の歌詞は問題無くはっきりと聞き取れていたのだが。
 テレビやラジオから流れてくる歌にも、そう感じるものが多い。邦楽で歌詞は確かに日本語なのに、最初に聞いた時、歌詞の一部しか聞き取れないような歌。ボーカルが楽曲の一部、リズムの一部になっていて、ボーカルの重点も歌詞を歌い上げる事ではなく、旋律を奏でる事に傾いてしまっているような歌。そういう歌が意外と多いと思う。邦楽なのに、歌詞カードが無いと歌詞が判らないのだ。口ずさんでみても出るのは鼻唄ばかりで、歌詞が蘇ってこない。
 その歌を憶える時にまずする事は、眼を閉じてその歌を何度も繰り返し聴く事だろうか。それとも流れる歌と共に、開いた歌詞カードの文字をなぞる事だろうか。その歌の歌詞が自然と浮かび、口をついて流れ出しているだろうか。流れる歌に合わせて口をパクパク動かしているだけ、という事はないだろうか。
 いや、これもやはり、歌詞を聞き取れていないのは自分だけなのだろうか。
 夜11時を過ぎた。外は恐らく今冬最高クラスに冷え込んでいる。でも、雪が降る気配は無い。ベランダ越しに窓の外を見ると、街灯りの上に赤い色をした星がひとつ、寒々しく瞬いている。今朝方東京に降り積もった雪は、今もまだ残っているのだろうか。


■2002.12.10 火

 今日は一日中マイナスの気温だっただろう。とにかく寒かった一日。でも雪は無いので12月だというのにまだ自転車で通勤ができる。ただし、手袋は必携。
 去年内地から転勤してきた上司が、「手袋をはく」というこちらでは普通の言いまわしが可笑しい、と言う。それ以前にこの「内地」という言いまわしもどうか、と思ったが。
 内地という言葉は開拓移民によって成り立つこの土地の歴史、そのものを引き継いでいる言葉だ。かつて新天地を求めて北海道にやって来た人々にとっては、自分の家系のルーツがある本州の土地こそが「内地」。やはりこの土地は「外地」だったのだろう。そう考えると深い言葉。ただ、こちらの感覚では、東北も関東もどこもひっくるめて本州は全て「内地」となる。「内地」という大枠でひと括りにして呼んでしまうのは、内地の人にとっては失礼なのかも知れない。
 で、「手袋をはく」という言い方だが、それも内地では「はく」では無く、「はめる」や「つける」ものらしい。この言い回しの違いは一体どんな理由で生まれたのだろう。
 それは多分、この時期には手袋が欠かせない土地と、そうではない土地の違い。それによるものだと思う。「はく」という言葉は、ズボンや靴やパンツや靴下など、着るもの以外の一般的な衣料品に対して使われる言葉。「はめる」や「つける」は、そうした一般的な衣料以外で身に付けるものに対して使われる言葉だ。例えば「腕章をはめる」「首輪をはめる」「ピアスをつける」「マスクをつける」といった感じに。要するに、手袋というものがどれだけ一般的な衣料品として扱われているか。その違いが「はく」と「はめる・つける」との呼び方の違いに、大きく関わっているのだと思う。内地でも、例えば東北地方ではどちらの言いまわしが使われているのだろうか。
 そういえば。こちらの仕事の現場では、軍手や革手などに対して、「はく」よりも「する」や「した」の方が多く使われている。「軍手する」や「革手しろ」という感じでだ。この言いまわしに関してはその上司も違和感は無いと言う。靴なら革靴だろうがハイヒールだろうが作業靴やゴム長だろうが、どれも「はく」ものである事に変わりは無い。でも手袋というものは、身近であればあるほど簡潔な言葉で扱われる物のようだ。これは何故だろう。


■2002.12.11 水

 朝、薄っすらと雪景色だった。地面の上をほんの2、3センチほど覆っている雪を踏みしめると、グツグツと鳴り砂の上を歩いているような音がする。いや、鳴り砂の上を歩くよりこの雪の上を歩く方がもっと高くていい音だ。気温がマイナス10度くらいになると、踏みしめられる雪はそんな音を立てるようになる。全く水気を含まないガラスの粉のような雪の結晶同士が、触れ合いながら軋む音だ。
 帰ってきた時も、日中全く融ける気配の無かった雪が、朝と同じ姿で車の上を覆っていた。一度融けてから凍りついた雪はガリガリと削らなければならないので厄介なのだが、今日の雪はブラシで軽く払う事ができる。握り締めても固まらない、サラサラの雪。雪合戦の玉にも雪だるまにも、決してなれない雪だ。日本海側からの湿った雪が一度にどかっと降る事が多いこの街では、このタイプの雪だけが積もっていることは珍しいことかも知れない。
 昨日まで全く雪が無かったのでのんびりしていたけれど、そろそろ本格的に冬支度しなくては。雪払いを終えた車のワイパーを、今日からは立てたままにしておく。アパートの玄関先にスノーダンプとジョンバを常備。冬靴には中敷を詰める。膝下までの長さがある防寒用長靴も、今日からは玄関に据え置く。ジャンパーの襟にボアを装着する。夏秋衣料を撤収し、冬物だけをハンガーに吊るす。台所と風呂場の湯沸し器の火力調節ツマミを、真冬用に切り替える。窓の上の壁にある換気口の扉を全て閉める。ストーブ前から動かなくても済むように、テレビの向きを少し変えてみる。そして今日から、石油ストーブの上には常にヤカンが載せられる事になる。
 と、そんな事を色々としていたら、時計の針がいつの間にか10時を回っていた。


■2002.12.12 木

 今日も朝起きると、昨日積もった雪の上にまた更に薄っすらと雪。雪は昼頃まで降り続けたが、午後には力尽きてしまった。先日から比べると今日は大分気温が上がって、降っていたのは昨日降った雪よりも大きな雪。段々とこの街の雪らしくなってきた。
 悪いニュースで一日が始まったので、今日一日、嫌な気分で過ごしていた。こう書いておけば、後から読み返した時、この日にどんなニュースがあったのか、自分には判るだろう。直接自分に何か影響があるという事柄ではないのだが、色々とこの仕事…いや、仕事ではないか。この職場やその中の組織、それを形造る様々な人間。人間の強さや弱さ。温かさや冷たさ。仕事というものと人との関わりのあり方。その他色々な事について、今日は色々と考えさせられた。
 ただひとつ。こういう形でのひとつの物事の終わらせ方を、俺は認めない。

 気持ちをリセット。

 トップページの本編の方はまだまだだが、日記の方は順調に書けている。そろそろ「試行中」の文字を外そうかと思う。サイト名「kaeka」(カエカ)、内容はトップにたまに載せられる短い物語と、ここの日記だけ。ただこうした言葉が紡がれるだけの場所だ。それだけなので特に説明は必要ないだろう。でも、今日を運用開始の日とはしたくないので、それは明日以降にしようと思う。


■2002.12.14 土 (今日から開始)

 今日この日付を、このページの本運用開始の日とする事にした。とはいっても、内容の変化は特に無い。タイトルから「試行中」の文字を外しただけだ。でも、気持ちの上での防波堤として持っていた「またお試しだから、続けられなかったら消せばいいや」という部分には、ここで区切りを付けようと思う。気持ちの上で今日から始めるのだ。
 以前にやっていたページはまだ残してあるので、ここへのリンクを貼る事にした。その作業がそのページの、恐らく最後の更新となるだろう。無料スペースなので、更新が無くなったページはいずれ管理者に削除されるはずだ。そうして削除された時に、前のページは自動的に「閉鎖」となる。消極的なやり方だ。でも、潔く綺麗さっぱりと消し去れないのは、前にやっていた2年間、その間に書き溜めたものが自分にとってはこのうえない財産だからだ。捨てようと考えて止めた訳でも無い。こちらにも前のページへのリンクは貼り、いずれはこちらのページ内に引き継ごうと思う。
 前に書いていたものを読んでいてくれた人がこのページに書かれたものを読んだ時、その人は一体どう感じるだろう。そんな事を少し考えた。書くものが変わってしまうと、書き手の印象も変わるものだろうか。名前も変わっている事だし、と。
 前も色々書いていたし、これからも色々なものを書くだろう。ここに書くものに限らず、生活の中にはメールでのやり取りもあるし、文字以外では電話でのやり取りもあるし、実際に出会ってのやり取りがある。その折々で相手に伝わる自分が一体どんな人物なのかは、自身には判らない。恐らく様々だろう。
 自分を伝えるやり方にはいろいろな形がある。その全てを通じて伝わる様々な自分の中に、それら全ての自分を貫く一本の芯を感じてもらえるような、そんな自分でありたいと思う。


■2002.12.15 日

 久しぶりにCD売り場を覗いてみる。入り口に近いところに平積みされたタイトルに、どことなくクリスマスムードが漂っている。邦楽には恐ろしいほど疎いので、素通りして洋楽コーナを巡る。とはいっても、特に捜し物があるという訳でもない。邦楽のコーナーもちらりと覗いてみる。普段あまり見ないので、ひどく混乱した。
 どうしてだろう。本来アルファベットで表記されるはずの洋楽コーナー。棚の注記を見てもジャケットの背表紙を見ても記載はカタカナが多く、しかもアイウエオ順で並べられている。でも、邦楽コーナー。やはり並びはアイウエオ順なのだが、棚の注記のアーティスト名もジャケットのタイトルも、アルファベットで付けられているものはアルファベットのままで表示されている。日本語の名前なのにジャケットの名前がわざわざローマ字で書かれていたりもする。何だか邦楽コーナーの方がアルファベットが多いような、そんな気がしてしまった。
 洋楽でも、曲が日本で発売される場合には原題のままではなく、日本語に訳されたタイトルが付く事がある。家にある曲の中から例えば…古い方がネーミングが面白いので80年代から選ぶと、カルチャー・クラブの「DO YOU REALLY WANT TO HURT ME...」が「君は完璧さ」。70年代から、レオ・セイヤーの「WHEN I NEED YOU」が「はるかなる想い」。60年代から、アストラッド・ジルベルトの「GOODBYE SADNESS」が「悲しみよさようなら」。まぁ最後のはわざわざ訳さなくてもいいような気もするが。
 と、洋楽のタイトルはたまにそうして日本語に訳され、そのセンスは別として分かり易い邦題が付けられていたりする。店頭に並ぶアーティスト名も、表記は殆どがカタカナだ。でも日本人アーティストのアルファベットの名前やタイトルは、大抵はアルファベットのまま。チャートを見ても頑としてアルファベットのままで、カタカナ表記にすらされていない。その事が何だか面白かった。
 それにしても。洋楽のああいった邦題を付けているのは一体誰なんだろう。


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